京都御所の塀の一部分がへこんでいる理由はなんでしょうか?
京都御所を築地塀(ついじべい)沿いに歩くと、北東部分の角が凹んでおり、そこは
猿ヶ辻と呼ばれています。
鬼門にあたる、北東であることが理由で、北東の塀がへこんで造られています。
なぜ、北東が鬼門なのでしょうか?
陰陽道によるものであり、北東にあたる、丑・寅は鬼門とされています。
鬼のパンツといえば虎柄がイメージされますが、
上の図のように北東は「丑寅(艮)」で、「うしとら」といいますので、
鬼のパンツも虎柄となったようです。
へこませる効果とは?
へこませると書くとイメージをしにくいですが、削っているということです。
鬼といえば角(ツノ)です。陰陽道では、その角を取るという事を意味しているので、鬼が入ってこれなくなるそうです。
鬼門対策には更に「神猿(まさる)」です!
陰陽道では鬼門である北東(丑寅)=陰としています。
その対極に位置する申(猿)=陽で対抗すれば安心という事です。
「魔」が「去る」から、まさる、という説もあるようです。
猿ヶ辻にいる神猿
実際に猿ヶ辻には金網の中に木彫りの神猿が見張りをしてくれています。
猿の頭には「烏帽子(えぼし)」、手には、神の依代とされている御幣(ごへい)を持っています。
御幣というのは、紙や布を切って、細長い気に挟んでたらしたものです。
御幣は鬼が現れた際に神様を呼び寄せる為に必要です。
京都には他の場所にも神猿がいますが、烏帽子を被っているのは京都御所の神猿だけのようです。
天皇に近い場所にいるので、正装をしているという説があるようです。
なぜ神猿は金網の中にいるのでしょうか?
答えは、夜中になると抜け出して遊びに行ってしまうから、金網を張って逃げ出さないようにしたようです。
比叡山延暦寺の地主神、日吉大社(滋賀県大津市)の使いで、由緒のある猿のようです。
猿ヶ辻の変(朔平門外の変)
このように神猿で魔除けをしていたわけですが、1863年7月5日に事件が起きてしまいました。
姉小路公知(あねがこうじ きんとも )が、 猿ヶ辻で刺客に斬り殺されてしまった事件です。
尊王攘夷派の中心として動いていた姉小路公知が殺されたのは衝撃的な事件だったようで、wikiを読んでもとても長く書かれています。
現在の京都市内でも見つける事が出来るそうです
現在でも、建物の鬼門の方角の角を取っている建物があるようです。
いろいろな鬼門対策
- 南天→南天は、難を転じるという意味で、植えられることがあるようでです。
- 竹→節で繋がっているので、続くという意味で縁起が良いようです。
- 石→理由が分からないのですが、北東の角の部分に置くようです。
- 飾り瓦→飾り瓦は北東の方角、または北東の建物の瓦を変えるようです。
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