いつだったかも忘れたが、ネットで神社を検索していたら、なんとも雰囲気のある、伏見白赤稲荷社を見つけた。
たまたま、その日は休みで、電車で2時間以内に行けそうな所だったので、何も考えず家を飛び出した。
さて、残念な事に私には、あらゆるセンスが無い。
この日のセンスの無さは、長い階段を上った末に辿り着いた「田浦梅の里」という場所へと導いた。
最初からここを目指していたのだったら、とてもいい所に思えたに違いない。
しかし、私が求めていたのは、神社であり、鳥居だった。
↓田浦梅の里
↓梅でも運ぶのか人が乗り遊ぶのかトロッコがあった
正直、ここに来るまででかなりの体力を消耗していた。
最寄り駅の田浦駅からは10分以上歩き、長い階段を昇り、梅の里を迷い、今度は別口から階段を降りるという、もはや訓練や任務という言葉が相応しい状況だった。
梅の里からの階段を降りていくと、私の心の中など知る由もない子供たち数名が遊んでいた。
子供たちからすれば、梅の時期でもないこんな時期に何やっているんだと思われたに違いないが、私はあくまで梅の花が咲いていなくても楽しめる大人なんだと見栄を張り、
本来の目的である白赤神社へと向かっていった。
やっとの思いで、白赤神社への入口を見つけた時には既に、夕方近くになっていた。
私は暗い所が得意ではない。
暗い所にいるという事は、そこがチェックポイントになり得る可能性があるからだ。
チェックポイントの説明をすると、家で布団に入り、目を閉じ、次に目を開けた時に真っ暗な山の中や、知らない廃墟の家、さらにはこのような神社にワープしていたらどうしようと考える人間なのだ。
今回も、この神社の入口がチェックポイントになったらどうしようと、脳の片隅で怯えていたと思う。
さて、道とも言えない山道を上り、誰かのものであろう畑の横道を歩いていくと、鳥居が見えてきた。
なんとも言えない感じで並んだ鳥居は想像以上に雰囲気があった。
来て良かった。
横須賀市のホームページを読んでみると、この辺りは、「善応」と呼ばれていたらしく、
写真からは分からないというのが正直な気持ちですけど、白と赤の鳥居が交互に並んでいるらしい。
白赤稲荷は、梅、桃、つつじ、さつき、あじさいなどが植えられた境内と、朱の鳥居のトンネルとが、まわりの山々とみごとな調和を見せている。昭和41年に京都の伏見稲荷大社の分霊を祀った。地元の人や遠方の人にも信仰され、50本以上も並ぶ鳥居は、三浦半島でも珍しい。毎年、旧の初午と分霊として祀られた11月はにぎわう。
横須賀市HPより
初午は2月最初の牛の日の事らしく、旧の初牛というのは旧暦の初牛の事で3月なのかも、その辺は良く分からないです。
分霊(ぶんれい)は祭神(さいじん)の霊をわけて、他の神社に祀ることですね。
たしか、神様は何ヶ所に分霊をしても力は変わらないと聞いた事があるので、神様の力は偉大です。
コメント